decollouomo story 06 – 小原聡将 氏【革命的な新感覚!言葉にならない不思議な魅力をもったデッコーロウォモのドレスシャツ】

【 DJS-002 長袖ドレスシャツ NAVY  】

decollouomo(デッコーロウォモ)のシャツは、袖を通した瞬間に今まで着てきたシャツとは違う「ビビッ!」とくるものがありました。僕が思っていたシャツというものとは概念が違うというか、言葉ではうまく表現できない不思議な魅力をもったシャツです。初めての体験で最初は違和感を感じるほどでした。これは革命的な新感覚ですよ。

まず、開発されたconcorde(コンコルド)というニット素材の柔軟性にはビックリしました。着心地がとても良くて体の動きが制限されないので、気分が上がるというかワクワクして体を動かしたくなりますね。柔らかい素材を使用している服だと、だらしなく見えてしまったり、クタッとして気の抜けてしまう感じになることが多いのですが、decollouomo(デッコーロウォモ)のシャツの場合は何故かそのように見えない。独自の綺麗なシルエットは、姿勢が良くなるというか、自然と正しい姿勢に導かれているように感じます。国内外の遠征の際、車や飛行機で長時間移動することが多いのですが、どうしても姿勢が崩れたり疲労を感じたりします。しかし、decollouomo(デッコーロウォモ)のシャツを着ていると、体の中に軸が通っているかのように姿勢が整って、普段より疲れにくい。また、機能性の高さも素晴らしいですね。衣類に対して誰もが思っている悩みを全て解決しています。イージーケアに関していうと、簡単に洗濯できること、アイロンがけが必要ないということには本当に驚きました。洗濯したものには必ずアイロンをかけるタイプなんですが、decollouomo(デッコーロウォモ)のシャツは、乾いたらそのままクローゼットにしまったり、そのまま着用することができる。遠征時にバッグに詰めて持っていっても、練習時に着替えて置いておいても、着用するときにシワが全く気にならない。少しシワがあった場合でも着ているうちに自然と無くなります。縫製など作りもしっかりしているので型崩れしないし、毛羽立ちや色褪せなどの劣化もなく素材の耐久性が高い。さらに、TPOを選ばずどんなシーンでも着ることができますね。僕の中でシャツは普段よりお洒落をする時や正装する時に着るものという印象でしたが、decollouomo(デッコーロウォモ)のシャツは幅広いコーディネートができるので、普段のビーチスタイルでも、外出時のストリートスタイルでも、スポンサーさんに訪問する時のスーツスタイルでもいける。このように、僕の中ではどのポイントを見てもメリットしかなくて、デメリットが一切ないドストライクなシャツです。着る服を選ぶときに気がついたら手にとってしまっているほど、その不思議な魅力に嵌っています。とにかくラクで着心地が良いので、いつもdecollouomo(デッコーロウォモ)のシャツを着ていたいですね。

 

『プロジェットスポーツライダーの両親に育てられたサラブレッド』

もともと両親が水上バイクの競技をやっていて、母親は姉や僕がお腹の中にいる時にもレースに出ていたそうです。父親は世界チャンピオン、母親は当時男女混合の中で全日本チャンピオン。そんな実力のあるプロジェットスポーツライダー2人に育てられました。水上バイクの排気音を子守唄代わりにして寝る。休日は家族みんなで海に行って両親の練習を見るという日常でした。モータースポーツを始めたのは3歳の時。レーシングカートが最初です。テレビでF1を観るのが好きで、いつも乗用玩具に乗って真似をしながら遊んでいました。その乗り方を見ていた両親が、ひょっとしてカートに乗せたらうまいんじゃないかとレース場に連れて行ってくれたのがきっかけでした。4歳になった時にはモトクロスも始めました。毎週末、両親の練習を見ているのも慣れると暇になってしまう。そんなときに父親からPW50を渡されて、近くのサーキット場で遊び始めたのがきっかけでした。僕はコースを走るのが好きだったみたいで、どんどんのめり込んでいったそうです。他にもATV(四輪バギー)をやったりと、幼少期から色々なモータースポーツを体験させてもらいました。

水上バイクを始めたのは12歳の時。水上バイクの大会の最高峰は、10月にアメリカ・アリゾナ州で開催される世界選手権。両親が参加していたので毎年応援についていっていたのですが、父親の友人に「マシンが1台余っているから出てみたら?」と突然言われたのがきっかけでした。水上バイクに乗る場合、日本では免許が必要で15歳9ヶ月を過ぎないと取得できないのですが、海外では免許はいりません。そのため世界選手権では10-12歳、13-15歳のジュニアクラスの大会もあったのです。でも、1度も乗ったことがない初心者。それも大会3日前のこと。。両親が協会に掛け合ったところ、大会前日までにレースができる状態まで乗れるようだったら特別許可するということでした。それからは、両親に指導してもらって1日猛特訓。スピード感覚でいえばレーシングカート、バランス感覚でいえばモトクロス。高速の中で、いかにバランスをとって、コースを周り、相手を抜くか。レースに必要な感覚は、幼少期から色々なモータースポーツを通して培ってきたので、最初からある程度乗ることができました。それから大会前日の審査に無事通って、世界選手権のジュニアクラスに急遽飛び入り参加という形で出場しました。そのデビューレースの結果は11位。「あれ?もう一歩で世界のTOP10入り?」。頑張って練習すれば世界一を目指せるかもしれない。ここが自分が輝ける場所だ!と直感しましたね。何よりも、水面を滑走する非日常的な感覚、目の前に広がる幻想的な景色、今までに体験したことのない水上バイクの魅力に嵌ってしまいました。

 

『アウェーの洗礼で培われた人間力。進化した水を斬るSAMURAI』

しかし、日本では免許が取れる歳になるまではやりたくてもやれない。それで13歳の冬休みに、世界選手権で仲良くなった友人のご両親に誘われて、オーストラリアへ短期合宿に行きました。当時は全く英語を話せなかったのと初めての海外1人旅が怖くて、出発直前まで「行きたくない!」と駄々をこねていたのを今でも鮮明に覚えていますねw。最初は言いたいことが言えず会話が全く続かない。そんな寂しさと悔しさがあったのですが、不思議なことに慣れてくると少しずつわかってくるんですよね。コミュニケーションがとれるようになってからは海外生活が楽しくなってきて、そのあとは率先して1人で海外へ行くようになっていきました。

父親は水上バイクの輸入販売・カスタム・KAWASAKIジェットスキーの販売代理店を営んでいたのですが、ある時「現地に来てレース用の水上バイクをカスタムしてほしい」と、ドバイのチームから父親へ依頼があったんです。そして、「息子もやっているなら、こっちに呼んでやらせたら良いじゃないか」ということで、現地の人たちに誘われて僕もドバイに行くようになりました。14歳の10月世界選手権が終わった後には、スキルアップ・海外経験を増やすためにドバイの日本人学校へ転校して、ホームステイをしながら約7ヶ月間レース漬けの生活を送りました。その歳で中東に留学することに不安はなかったのか?と周りの方によく言われますが、その時は水上バイクの魅力に取り憑かれていたというか、日本では乗りたくても乗れない状況の中どうしても乗りたいという気持ちが大きかったので、それ以外のことは一切気になりませんでした。仲良い友人から離れる寂しさはありましたが、現地に行けば毎日水上バイクに乗れる。レースにも出れる。という高揚感の方が勝っていましたね。

ドバイに行ってからは部活のように毎日水上バイクの練習ができました。学校が終わったら家に帰って水上バイクを引っ張って海に行くという毎日。12月から4月までシリーズ戦が行われるのですが、そのレースにも参加していました。生活面は特別苦労なく過ごせていましたが、レースではアウェーの洗礼を受けて苦労しましたね。。ドバイのレースは賞金が出ることもあって、フランスやイギリス、クエートなど近隣国から多くのライダーが集まってきます。しかし、ジュニアクラスになると他国のライダーは自分1人でした。レースは着順ではっきりと結果がわかるものですが、やってもいないペナルティを科されたりして、実際にゴールした順位より下に評価されることが多かったのです。審判に抗議しても、無視されて一切通らない。選手や観客も冷たくて、みんな見て見ぬ振り。毎回そんなインチキされていたら頑張る意味ないなって、やる気を失ったり不貞腐れてしまいますよね。ずっとそういう目に合い続けて精神的にも追い詰められました。。

ずっと悩んでいても何も変わらない。この状況を打破するためには、誰が見ても明らかにわかる圧倒的な結果を出すしかない。そう考えて必死に戦い続けました。邪魔者扱いされながらも、いつも変わらない姿勢で戦い続けていたら周りの人たちの対応が徐々に変わっていきました。観客が僕のことを認知してくれるようになってきたり、選手たちがライバルとして見てくれるようになってきたり。「今は大変かもしれないけど負けずに頑張れよ」って声をかけてくれる人たちが増えてきたり。少しずつ結果を示していくことで、みんなが認めてくれるようになっていきました。みんなが呼ぶ僕のニックネームは”SAMURAI”。その所以は、どんな厳しい環境でも、不屈の精神で結果を残す所から付いたそうです。ドバイでの経験はスキルアップだけではなく、こうした環境を1つ1つ乗り越えてきたことで精神力も強く培われましたね。決して諦めない気持ちでやってきたことが今の自分に繋がっているのだと思います。

ドバイのシリーズ戦が終わって帰国してからは、15歳9ヶ月になって免許を取得。そして全日本選手権にデビューして全日本チャンピオンを獲得し、同年の世界選手権では2クラスの世界チャンピオンを獲得しました。2年後にはプロデビューを果たし、それからは国内を拠点に、世界最年少プロライダーとして積極的に海外レースへ参戦しています。

 

『順応力で勝ち取った世界NO,1の称号』

一般的にプロライダーは自分のマシンで練習して、レースではその乗り慣れたマシンで走ります。しかし、僕の場合は資金が無いため自分のマシンを海外へと持ち込むことができず、速いマシンをサポートして下さるスポンサー様を各国ごとに募っていました。その都度与えられた違うマシンに乗ってレースに出ているんです。レース開催地の協会もしくは企業およびライダーは、誰にでも貸してくれるわけではなく、結果の出せないプロライダーには貸してくれません。宣伝にもならないし、逆にマイナスイメージになってしまう恐れがあるからです。だから、例え与えられたマシンが遅くても、レースで結果を残せないと次のレースでは誰もマシンを貸してくれなくなる。レースに参戦し続けるためには、結果を残していくしか方法がありませんでした。そんな状況を乗り越えていくために身につけてきたのは「順応力」。通常のプロライダーは、自身の能力が発揮できるように自分に合ったカスタムをして、マシンを自分に順応させます。しかし、僕の場合はそれができないので、レース中に周回を重ねながらレンタルしたマシンの能力を確認して、そのマシンの能力を最大限引き出せるように、自分の方がマシンに順応していくようにしています。

なぜ優れたカスタムマシンに、現地で与えられたレンタルマシンで勝つことができるのか?簡単に言うと疲れないように乗っているからです。水上バイクのレースは決められたコースを10周走ってその順位を争うのですが、体に負荷がかかってとても疲れます。例えるなら400m走を全力疾走で10周走っているような感じ。大学在学時に水上バイクのことを研究して論文を作成し、スポーツ科学の学会にて発表したことがあるのですが、マシンの性能やライダーの運転技術のほかに、体力の使い方が重要なんです。それをおろそかにしているとレースの後半に疲れてしまって、「ここぞという一発勝負」の時に瞬間的な力が十分に出せなかったりします。マシンの性能に頼っているとラクしてレースの展開を終えられますが、マシンが速い分だけ体に負荷がかかって体力が余計に消費されます。必ずしも速いマシンが良いというわけでもなく、自分の場合はマシンの限界を常に出し続けながら走る方が効率が良い。速いマシンで徐々に疲れて全開にできなくなり、その結果スピードが落ちていくよりも、そこそこのマシンで10周同じペースで全開に走れる方が間違いなく速い。後ろで走っていると、前のライダーのクセや長所短所がわかります。勝負するならこのポイントだなというのがわかってくるんです。コース上で勝負するポイントを1つ見つけて、他のコーナーはその勝負するポイントのために全部作り上げていくような感覚で走っていきます。その勝負するポイントにいくまでに、間隔を詰めて一発勝負できる状況をつくっていくのです。そして、前の選手が疲れて集中力が切れてくる頃の一番遅くなる瞬間を狙って、一か八か全開の力で突っ込んで抜き去る。

アウェーでの厳しい環境の中、そうやって活動資金が潤沢なチーム、有名ライダーとの戦いに勝って、世界チャンピオンになることができました。今となっては「小原に乗せれば結果が出る」と言われるようになり、各レース開催地の協会もしくは企業およびライダーとWIN WINの関係ができて、マシン提供のお話を頂けるようにまでなりました。与えられたもので結果を出すというのがプロライダーだと思っているので、「順応力」はもっと鍛えていきたいですね。世界チャンピオンを獲得した事を期に海外からの招待レースが増えてきましたので、更なる高みを目指して、これからも変わらず、誠心誠意、全力で戦って参ります。応援よろしくお願いいたします。

 

 


小原聡将 Toshiyuki Ohara
プロジェットスポーツライダー Pro Jet Sports Rider
日本ジェットスポーツ連盟(JJSF) 所属

<主なレース出場国>
日本、アメリカ、UAE(ドバイ)、タイ、マレーシア、フィリピン、中国 他

<獲得した主なタイトル>
世界チャンピオン獲得 × 3回
全日本チャンピオン獲得 × 5回
タイナショナルチャンピオン獲得 × 2回
マレーシアナショナルチャンピオン獲得
フィリピンナショナルチャンピオン獲得
千葉県知事賞受賞

<プロフィール>
幼少期からレーシングカートやモトクロスなどのモータースポーツを経験し、12歳からジェットスポーツを始める。初めて参戦した公式大会である世界選手権においてジュニアクラスで世界ランキング11位を獲得したことから、自身の可能性を発見しジェットスポーツの道に進む。しかし国内では免許制度により15歳と9ヶ月に達するまで水上バイクを操船することができないため、13歳で単身オーストラリアへ渡り、14歳から15歳になるまでの約7ヶ月間を中東のドバイで過ごすなど、海外にて競技経験を積む。そして16歳になり満を辞して全日本選手権へ参戦、全日本チャンピオンを獲得し、同年の世界選手権において2クラスの世界チャンピオンを獲得する。2年後にはプロデビューを果たし、学生生活との2束のわらじで競技活動を続ける。またその傍らでは競技普及活動にも真摯に取り組み、メディア媒体への露出を積極的に行う。千葉工業大学在学時の卒業研究では、世界初となるジェットスポーツを主題とした論文を作成しスポーツ科学の学会にて発表、その研究結果を用いてジュニアやアマチュア選手への指導にも携わる。大学卒業後はプロアスリートとして世界を舞台に広く活躍している。


<ジェットスポーツ>
水上バイクは日本ではマリンレジャーの乗り物というイメージが強いが、国内外でレースが多数開催されているモータースポーツ。レースは、プロ・エキスパート・アマチュアと各カテゴリーに選手を分けて実施され、1人乗り用の「スキー」、2〜3人乗り用の「ランアバウト」と形態によって部門が分かれる。また、その中でも船の形状やエンジンの改造度に応じて種目が細分化されている。レースは、水上にブイで設定した1〜2キロメートルのコースを周回して順位を競う。20艇ほどの水上バイクが一斉に水しぶきを上げながら、スタートを切る様子は壮観。時速はMAXで130キロほどに達し、体感速度は実際の速度の2倍ほどになるという。10月アメリカのアリゾナで開催される世界選手権、12月タイのパタヤで開催されるワールドカップ。この2つが世界中の選手が集まる世界最高峰の大会。とくにドバイやタイでは王族がチームを所有しているほど、水上バイクは国技のようなメジャースポーツ。野球やサッカー、ゴルフやテニスなどと同じように、全国ネットのスポーツチャンネルで生放送されているほど認知されている。

 

 


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